・自分ではなく他人(家族・見も知らぬ人)の死について云々していること
実例1
・個人の意思や都合ではなく、社会の資源のために死なすことをめざしていること
実例2
・そもそも安楽死と慈悲殺人を混同していること
・優生思想によるナチスのT4作戦といった負の歴史をまったくかえりみていないこと
など。ほかにもあげられるとおもいますが、大体このようなかんがえかたで、わたくしは(とくに安楽死する本人以外の弄する推進論には)絶対に反対の立場です。
みなさんはどうかんがえますか?
・自分ではなく他人(家族・見も知らぬ人)の死について云々していること
実例1
・個人の意思や都合ではなく、社会の資源のために死なすことをめざしていること
実例2
・そもそも安楽死と慈悲殺人を混同していること
・優生思想によるナチスのT4作戦といった負の歴史をまったくかえりみていないこと
など。ほかにもあげられるとおもいますが、大体このようなかんがえかたで、わたくしは(とくに安楽死する本人以外の弄する推進論には)絶対に反対の立場です。
みなさんはどうかんがえますか?
面倒を見ている本人からすると大変なことなんでしょうけど、とにかく他人の口から安楽死制度を進めようってもんじゃないと考えています
「この人は社会にとって意味ないなら死なせた方がいい」みたいなことを言い出したら、差別が蔓延するタネにしかならないし、「何が意味のある命か」のような論調が始まってしまったら、社会の分断が一気に進むとしか思えないですね
正直本人も迂闊に主張したらまずい気がします。仮に安楽死おkになったら、「他の家ではそう言うふうにしているけど、お宅はなぜしないの?」って同調圧力が働いたら大変なことになりそうな…
他人に勧めてはいけないって法律を作るなら話は別かもしれませんが
正直本当の安楽死ならありだとは思いますが、日本では無理だと思いますね。
それにこういう人たちはだめな人、劣っている人を安楽死させるべきといいますが、それは段々と劣っている人のハードルが上がっていくことに気づいていないのでしょう。
重度の障害者を安楽死させたら、次は軽度、次は無職、次は生産性の低い人間…と整形と同じで際限がありません。自分が安楽死させられる立場になるかもしれないという重大な視点が欠如しているように見えるので、日本ではこのレベルの話は絶対に無理です。
実例1に書かれている事を、賛成側のテーゼとして利用した時の考えに過ぎませんが。
投稿者様が書いた通り、本人以外が関与出来るのならば断じて反対です、しかし本人の意思決定でのみ認められるなら日本にメリットは大きいと考えますし。道徳や感情論を無視したら私も賛成です。
(※以下の文、凄く差別的な内容になってしまいました、が安楽死に対する考えでは避けられないと思いましたので書かせて頂きます)
仮にですが、無条件での安楽死(又はそれに準じる)が認められるのならば、生活に困窮している層や生きるのが苦しい層など(言い方悪いですが、恐らく低所得層)が進んで安楽死を取る事で政治的・経済的(元で書かれた社会資源)に日本が正しい方向へ進みそうなので、国として考えるのならば良いかもしれません。
また人間として、種としても賢く進化出来そうですし。
・慈悲殺人に関しては禁止して、起こらない様に安楽死は完全に個人の意思決定のみにし、年齢制限を掛けるなどした方が良いと思いますね…(難しいですが)
・優生思想に関しては、恐らく日本国民でその様な考えを唱える人はそれらの層に集中していると思うので、意外と真の平等な社会になりそうです。(中国人差別や同和問題の被疑側もそうですし…)
まあ最終的な到達点は優生思想と何ら変わらないので、自己正当化にしかなりませんが。(そこは歴史が語るキリスト教的倫理を参考にしたと言う感じで言い訳しておきます。)
結果、どうせ少子化で人口も減る事ですし、今後国力が衰える事が目に見えてる日本だからこそ安楽死のある国になった方が、豊かな国を維持出来るのかなと考えます。
私個人は道徳的に考えれば、勿論反対ですが、正直な所感情論以外での論理的なデメリットはメリットより少ないと考えたので、賛成として意見を書かせて頂きました。
みなさまコメントありがとうございます。なかなか実生活ではほかのかたの意見をきく機会がなく、またネット上でも長文がはばかられたり冷やかしのレスがおおいなかで、個人の意見を開陳できるレスパークの存在はありがたいです。やはり他者の意見をきくと勉強になります。
こういった波はおさえられないでしょうから、もしも法律ができてしまったら、せめていまの欧州以上に人道的な厳格な基準をもうけてほしいところです。