mirror
(鏡)
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私の長期的な目標は、グループワークをして、組織の中で活躍出来る存在になることです。創作を通して良い加減に物事を済ませるのではなく、かっことしたこれだと言える確信に満ちたものを作る。
絵も誤魔化しの多いものでなく、一つ一つの線に理屈があり、無駄がなく、誤魔化しのないものを描きたいと思っています。
風景と人物のアクション写真を組み合わせて、リアルとデフォルメの中間のような作品を描いています。職場を楽しくしたい。衣装をみんなで揃えてポーズを取り合ったり、それに合う風景を皆で考えたり、物語のアイデアについて話し合ったり。そういう未来を夢に描いています。
次の絵は、睨めっこをしている時をイメージして二人とも自分でポーズをつけ、写真に撮った後、プリントして、絵に写したものです。服の色を分けて塗り、顔の描き方も微妙に変えて二人の違う人物を演出しました。
しかし、この描き方はあまりポピュラーではないようです。私のようなデッサンの理屈がわからない人でも描けるこの描き方、どうでしょうか?
kazyk
(カジク)
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こんにちは。絵を拝見しました。写真を見て描くことについて、考えを述べます。
人間の顔は見慣れているし、たくさん見るものなので脳が自然に簡単に処理します。
ですから、いくらでも簡素に見ることができます。点を二つ、横線一つでも顔に見えます。
写真を見て描くと、写真に写っているものを描くので当然二次元を描き写すことになります。これは人の持つ立体感を出すのが難しくなります。目の微妙な膨らみとか、顎から首の距離とか、そういう感覚が写真では読み取りづらいです。写実的にしろではありませんが、情報量が足りなく見え、普段見慣れてるものなので目がつまらないと感じてしまいます。
それじゃ写真がダメなら身近にあるものしか書けないじゃないか、となるので、身近なものや人をデッサンし立体感覚を養います。その上で、写真を見つつ頭の中で立体感を足しながら描きます。
ガチガチにデッサンをしなさいというわけではないです。身近な人でも、電車の中でも、実物を見て人の面白い特徴を見つける習慣をつけましょう。自分でもいいです。触りつつ描くと、面白い形をしてることがわかります。この絵でも、口を開けてウワッとした時、ほっぺはどんな形になってるかとか確かめると面白いです。そんな面白ポイントを盛り込むと、絵は見応えあるものになります。大学の先生も言ってましたが、楽しく続けたもの勝ちです。
絵は売れて有名になった方が偉いので、今のスタイルを貫いて自分の望むものが得られればこのアドバイスは負け犬の戯言です。なので気にしないでください。
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(鏡)
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kazik様
とても丁寧な返信ありがとうございます。感心しました。
立体感や膨らみとの指摘を受け、盲点に気づかされた思いです。
写真に撮影して、プリントしてそれを絵に写すやり方が間違っているわけではない。
ですがその上で、立体感やよく見て書き特徴を掴んで書くという要素がとても大事だと思い感じました。
アドバイス有益な指摘と捉え、今後の参考に致します!
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素朴な質問ですが、実物を考察するチャンスがあるにも関わらず、どうして一旦写真に変換してから描くのでしょうか
mirror
(鏡)
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anound_man様
難しい質問ですね。フィクションとしての面白味みたいなお話でしょうか?
演劇を絵に写していく考え方です。
ないものを想像によって描くのではなく、なかったものを衣装演出によって実際に作り出し、それを絵に写していくことで、演劇の楽しさとコミックの楽しさの両方を味わえるのではないか、と。
実際の演劇だと、コマ割りによる自由は効かず、全編通して流れとして一貫性のあるものを通しでやる必要がある。しかし、コミックならコマ割りを使って自由に表現が出来るため、通しで演じる必要がないし、面白味が出ると思うのです。
コロナ禍で演劇の多くは不運に見舞われましたが、仮想空間の中なら演劇的思考は自粛せず自由に表現が出来、良いかという考えアイデアの一つのヒントに、コロナ禍があったと思います。
mirror
(鏡)
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あっ、少し違かったかな? 演じている姿をそのまま描けば良いではないか? ということでしょうか?
それでしたら、動いている姿アクションしている姿その姿を静止させたまま一コマ一コマ描いていくのは、大変労力も入りますし、背景と組み合わせるなど、コラージュ絵を作るのが困難になってしまう。
アクションや表情全体を一つの素材としてつぎはぎで物語の流れに沿って組み合わせて使う。そのために写真に撮影し、内容を保存してから使うかどうかも後で決めていく。そんな形の創作スタイルをイメージしています。