すごく尊敬してた人が去年亡くなって、もう半年たつんだけどいまだに涙がでるほど悲しくなることがしょっちゅうある。
世間からは変人扱いされてたけど、優しくて穏やかな人で話してると本当に楽しかった。もう会えないと思うと本当にさびしい。「そうやって思うことが故人のためになるんだよ」と言われるけど…。もっと正直に踏み込んだことも話しておけばよかったとか、まめに会っておくべきだったとか後悔しか感じない。時間がたつのを待つしかないのかな。
自分も年取って死ねば向こうで会えるし
のマインドです
そういうのって当事者が一番辛いよね…。外の人は「時間が…」とか言うしかないけど、それだけじゃどうにもならないこともあると思う。少しずつでも気が紛れることがあるといいね。
亡くなった方にお悔やみ申し上げます。きっと素敵な方だったのでしょうね。
自分が近しい人を亡くした時にも、深い悲しみと共に強い後悔と罪悪感が押し寄せてきたことを思い出しました。
具体的にどうやって乗り越えたのかはもう忘れてしまいましたが、やはり時の経過の力が大きかったように思います。
クサい例えになってしまいますが、角張った石が川の流れで次第に丸くなるように、感情もまた少しずつ抱えやすい姿に変貌していくのではないかと思います。
未だに寂しくなることはあります。後悔も残っています。しかし、感情自体は無くならないけれど、それでも無視したり押さえつける必要はないのだと思います。それだけその人が大切だったということですから。
あまり参考にならない意見ですみません…亡くなられた方とまがねさんが少しでも心安らかになられますように。
その感情は故人へ向いているだろうか
また依存的な感覚はないだろうか
その気持ちを糧に充実が待っていることを祈っています
そして自分が死んだときそんなふうに思われるようになりたい
お悔やみ申し上げます。
他の方も話されてますが、そんなふうに思ってる人がいることが故人にとって幸せなことだと思います。幸せな記憶や大切な思い出があると余計辛いですよね。
わたしは兄弟を亡くしましたが、毎年彼の誕生日付近になるとやっぱりナーバスになりますし涙が出てしまうことがあります〜〜
自分にとって大切な存在を無くした悲しみを癒すのはかなり難しいです。時間が解決するか他のことで気を紛らわすかしかないと思います。
亡くなって数年はどこか遠いところで元気に生きていて、いつか戻ってくるんじゃないかと私は本気で思ってました。そうじゃないと受けいられられた時に1番涙が出たのを覚えています…
もっと話しておけば、など失ってから気づいたことを今周りにいる愛する人たちへの気持ちへ変えていけたら1番幸せですよね
皆さんご意見ありがとう。
先日故人を知る方と話す機会があって、ものすごくくだらない思い出話になり「そんなことあったあった」と二人で大笑いしてしまいました。今のこの悲しみもいつかは消えていくのかと思うと淋しいけど仕方ないですね。悲しめるうちは悲しんでいようと思います。