ニュースや役所の発表を見ていると、やたらとカタカナ語が増えているのが気になる。「クラスター」「ロックダウン」「ソーシャルディスタンス」。なぜ「集団感染」「都市封鎖」「間隔」ではいけないのか。
日本語には漢字という表現力の高い文字があり、それを義務教育で学んでいるにもかかわらず、わざわざカタカナ語を導入するのは単に学習の負担を増やすだけではないか。言葉は簡潔で伝わりやすいものであるべきなのに、カタカナ語はむしろその性質を損なっているように思う。
「ロックダウン」と聞いても直感的に意味を理解しにくいが、「都市封鎖」と言われれば一瞬で内容がわかる。「クラスター」よりも「集団感染」の方が、感染症の広がりを具体的にイメージしやすい。漢字の持つ情報圧縮力は、単なる音の置き換えではなく、視覚的に意味を伝える強みがある。
明治時代、日本は西洋の学問を取り入れる際に、多くの概念を漢字に翻訳した。「哲学」「民主主義」「科学」「経済」「物理」などがそうだ。もし当時の人々が「フィロソフィー」「デモクラシー」「サイエンス」「エコノミー」「フィジクス」などと音訳したまま使っていたら、日本語は今のように発展していただろうか。一部の知識人にしか理解できない、不便な言葉の羅列になっていたのではないか。
新しい概念が入ってきたとき、本来であれば日本語としてどのように表現するのが最適かを考えるべきだ。しかし最近は、安易にカタカナのまま輸入する傾向が強まっている。その結果、単語ごとに意味を学び直す負担が増え、言葉が断片化し、特に高齢者や子供にとって理解しづらいものになっている。
カタカナ語の氾濫は、言語の進化というよりも、日本語の表現力の低下を招いているのではないか。音訳するだけで満足し、漢字での適切な翻訳を考えなくなったとき、日本語の豊かさは確実に失われていく。
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Edamame
(エダマメバズーカ)
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おっしゃる通り、メディアのような発信者がそのまま英語を日本の読み方に当てはめるだけだからでしょうね…
正直分かりにくいので勘弁してほしいと私も思っています。テレビのようなメディアが敢えて難しい漢字を使わないのも同じくらい苦手です。
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同感です。カタカナ語は限られた音節による音写なので、発音を正確に転写しているとは言い難く、さらにそれが何語なのか、どんな意味なのかが一見してわかりづらいです。
ただ、個人的な意見としては、漢語については、国際的な通用性の観点から現代中国語の熟語をそのまま導入していって、新しく翻訳する際には和語(大和言葉)で行ったほうが、日本の文化的にはよいと考えます。
なぜなら、たとえば新漢語を積極的に生み出していた明治時代と現在とを比べると、いま日本が新漢語を生み出しても、それが国際的(つまり中国や韓国、ベトナムなどの漢字文化圏など)にあまり普及せず、それでは漢字文化圏における漢語の利点を十分に活かせないと考えるからです。つまり、明治時代とは逆に、中国から日本へ新漢語を導入して普及させた方が、漢字文化圏での通用性という点では有効であろうと考えます。下載(ダウンロード)や軟件(ソフト)硬件(ハード)など、わざわざ新造しなくてもそのまま使えそうな現代中国語はありますので、一石二鳥かなと。
和語というと、なにか平安時代のそれかと思われそうですが、いわゆる「訓読みで言葉をつくる」という感覚で良いと思います。たとえば「社会的距離の確保(ソーシャルディスタンシング)」は「人と十分に離れる(こと)」とか、「説明責任(アカウンタビリティー)」は「社会的責任を果たす(こと)」とか……例えが下手で申し訳ないですが、とにかく「漢語がもつ簡潔性に引け目を負わず、あくまで日本語として言葉をつくる」ことが大切かなと思っています。
カタカナ語問題を契機に、漢語や和語への意識が高まってくれると個人的にとてもうれしいですね。
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123
(八雲雪路)
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豊富な表現力がかえってカタカナ語の氾濫を招いている原因になっている様な気がします。
確かに表現力は漢字の方が豊かってのはあると思いますが、他に持つ印象(後述)によってコロナ禍の時のソーシャルディスタンスはカタカナ語にする事によって多くの人に印象付けようとしたという事もあると思います。(実際、個人的にはカタカナ語で書かれた方が分かり易かったです)
漢字の方が表現力が富んでいる分、「政府が進めるソーシャルディスタンスの政策」を漢字にして、「政府が進める隔離政策」とかにしても、正しく日本語を理解していない限り、一部分(隔離政策)だけを見て、ネガティブな印象を抱くかも知れませんし。(勿論私も含みますが、現代の若者の読解力は洒落にならないレベルでヤバいので)
実際、新たに世に広まった語を漢字に直しても、その漢字が持つ別の意味・印象のせいでオーバーフロー気味になってるその漢字を使った新しい単語が、誤った意味で広まる事もあると思います。その為、固有の単語としてカタカナ語の需要が広がっているって事もありそうです。
今でさえ漢字が与える印象、漢字の持つ表現力のせいで間違った意味で広まっている単語は多いと思いますし…(カタカナ語もまた然りですが)
かと言ってこのままカタカナ語だけが増えても衒学的な人間が増えるだけですし。それこそ元の文で書かれた様な、不便な言葉の羅列 が現実となる世界にこれからの時代なって行くと思います。
ネットやこれまで日本に無かった新たな文化・娯楽、日々変化する情勢…に触れる機会がこれまでと比べ格段に増えたここ数年で氾濫し始めたカタカナ語は、もはや常用漢字で賄える数以上の新たな単語が溢れかえっており、常用漢字の範囲を広げるとかでないと漢字や日本語本来の表現力を維持する事は難しくなって行くのでは、と思います。
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user21
(ピンク woo)
5
中国の台頭を待つしかないかと。しかし、発信者がその意識をたもっていない。政府でさえSDGsだ、LGBTだのもはや東亜細亜としての自覚と誇りは失っていますね。かなしいです。
そう言うカタカナ語を一気に流されると「分からせる気があるのか」と思ってしまいますよね
報道機関としてはどうかと
そうですね、実際に現代の中国語でも、電脳などパッと見て日本人でも意味を想像できるものが多いですよね。イメージしやすいものを取り入れて、そうでないものは新たに作り直したほうが効率的だと思います。
言いたいことは分かりますが、新しい言葉を国民に正しく理解させるのは、むしろ政府の責任ではないでしょうか? 今のやり方は、説明責任を半分放棄しているように見えてしまいます。
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お言葉ですが、国語政策はその国家の内政問題なので、他国の伸長云々はあくまで一要素でしかないかと思います。(たとえば、これだけ中国が発展していても、それが中国製の新漢語の導入に必ずしも直結はしませんでした。)
あくまで、その社会の自発的な意志がなければ、手間と工夫のかかる漢語の新造や、共通語としての漢語の導入は、なかなか難しいかなと……
それと、「東亞としての自覚」が、「SDGsやLGBTの排除」だとお考えになるのなら、私はそれに断固として異を唱えます。まったく無関係ですね。
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情報科学分野が専攻でしたが、かなりカタカナ語が氾濫している分野ですね。「オートマトン 言語理論 計算論」という教科書を使っていましたが、あまりにもひどくて、「本当に訳す気があるのか?」と思ったほどです。
特に情報科学の抽象的な概念を訳す際、中国語のように意味をきちんと訳すべきだと強く感じます。現在はカタカナ語に頼りすぎて、本来伝えるべき意味が十分に伝わっていないように思います。
Algorithmを算法に訳すのは、本当に優雅
英語(原語) |
日本語(音訳) |
中国語(意訳) |
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框架 |
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電腦 |
Keyboard |
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データマイニング |
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クラウドコンピューティング |
雲端運算 |
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kumazaki
(クマザキ)
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特許権利化のことをプロゼキューションと言う人もいる模様、全く理解できないな
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baubau
11
”チョコレート”とかが伝わった時もこのような議論はあったのかなあ
#1617. 日本語における外来語の氾濫
「カタカナ語の氾濫」として問題にされ,急増している外来語への対応がさまざまな角度から議論される。背景には,英語とアメリカ文明の圧倒的な優位があるといってよい
おそらく、こうした意図で発言されたのではないかと推測します。
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背景には,英語とアメリカ文明の圧倒的な優位があるといってよい
中国の台頭を待つしかないかと
わたしはこの二つの意見それぞれに反対しているので、少なくともわたしの投稿に於いての意図は合っているかと思います。
わたしの意見は、「いわゆるカタカナ語の氾濫は歴史的な事件(敗戦)の影響による、日本人の意思の問題であって、他国の伸長は一要因でしかなく、ほとんど関係がない」「第二次世界大戦の敗戦という未曾有の個性崩壊により、言語面に於いては戦中の国語純化の運動(典型的なのは、野球においてセーフをよしと変更したというあれ。いわゆる敵性語排除。)の反動から、外来語の漢語訳が必要以上に忌避されたり、また伝統的な漢文脈の基盤が消滅したりしたことから生まれた、日本特有の問題である」ということです。
もしも英語とアメリカ文明の優位性からくる問題なら、全世界で同じような問題が起こっていそうですが、どうでしょうか? 管見ですが、少なくともお隣の中国や韓国では、英語の音訳が氾濫して(つまり意訳が少なくて)困っているという話は聞いたことがありません。知りたいところです。
なので、カタカナ語が問題というよりかは、むしろ、「漢語訳や和語訳が絶えた」ということが真の問題だと思っています。外来語の漢訳や和訳が存在するのであれば、そもそもカタカナ語がいかほどあろうが、個人の文章の問題だけであって、社会の問題にならないのではないかと愚考します。
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user21
(ピンク woo)
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中国は積極的に漢字に直してます
プログラム程序や、コード代码
韓国語はハングルという表音文字であり、漢字を排除してるため、すでに手遅れです
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「一要因である」ことには同意しますが、「ほとんど関係がない」という点には疑問があります。
なぜなら、民間の文化・技術交流も言語に大きな影響を与えるからです。
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民間の文化交流の影響
最近、日本で使われるようになった「猫を吸う」という表現は、中国語の影響を受けていると考えられます。これは、日本語が外来語を取り入れる際、カタカナ語だけでなく漢字を使った表現も採用する可能性があることを示しています。
今後、中国との交流がさらに深まれば、こうした漢字表現が増えるかもしれません。つまり、外来語の受け入れ方は、日本国内の言語政策だけでなく、どの国と深く関わるかにも左右されるのです。
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新しい概念の発信源によって変わりうる
もし、新しい技術や概念が中国から生まれるようになれば、それらをカタカナ語ではなく、自然と漢字のままとして受け入れる可能性が高いでしょう。
かつて日本に漢字が伝わった際も、無理やりにすべての表現を漢字に当てることもありました。つまり、どの国の影響を強く受けるかによっても変わるはずです。
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Teryantse
(テリャンツェ)
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このスレッドでの主題は、外来語の受け入れ方ではなく、カタカナ語の氾濫についてであると理解しています。なので、
"「中国・韓国・ベトナムなどの漢字文化圏」との交流では、従来通り「漢語」か「和語」で意訳するので「カタカナ語の氾濫の問題」にはならず、あてはまらない。
しかし、それ以外の、「漢字文化圏以外の国(米国など)」との交流なら
「漢語で意訳する」
「和語で意訳する」
「カタカナ語で音訳する」
という三通りの方法が存在するはずなのに、現状は「もっぱら『音訳のカタカナ語』が氾濫」している
……ということは、現在のカタカナ語の氾濫の原因は(繰り返しますが)英語や他国の優位の問題ではなく「日本人の意訳への意識の低下」が問題だと、個人的には考えている。"
ということです。
"英語とアメリカ文明の優位性"といった一要因が、カタカナ語の氾濫に関しては’ほとんど関係ない’と言ったのは、繰り返してしまいますが、「日本人は『日本人の都合』で音訳たるカタカナ語に甘んじているだけなのだから、そこに他国や言語の優位性といった現象があっても、それはやはり一要素でしかない」という、こういう考えからです。言うまでもないですが、これは個人的な考えかたなので、異論は当然あるかと思います。他の方の意見を封殺するつもりはありません。
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あ、なるほど、ご丁寧にありがとうございます。私が少し脱線してしまいました。
カタカナ語の氾濫を許してしまうのは、日本人の意訳への意識の低下や言語政策の問題だという点には、完全に同意できます。
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