神様はいるのか考えてみる

深夜に大雑把に考えを書いた為、不合理はありますが…暇な方、良ければ適当に眺めてください。

神様は居るとしたらどの様な物か以下考察。

神は存在する、しかしそれは普遍的な意味合いでの神では無く、あくまで誰でも論理的に紐解ける存在である…

まず「普遍的な意味合いでの神」についてですが、ここでは絶対的な力を持つ存在(宗教上での存在など)として扱います。
ではなぜ普遍的な意味合いでの神は居ないとしたのか、これは単純に普遍的な神と言う存在は我々の想像上での認識に過ぎない為です。
例えば旧約聖書の天地創造、こちらで神は一日目に地球と昼と夜を作り四日目に太陽と月を作った…と書かれています。しかし昼と夜は地球の自転による物でそれらは太陽が無いと存在しない、よって太陽が地球より後に作られたのはおかしい。と、そこに存在する不条理について今の時代なら誰でも説明ができる筈です。
また他の宗教で見られる様な 神の意志により雨を降らせる、や洞窟に籠り太陽が昇らなくなった 等々。それら形而上学での神と言う存在は現代社会の認識から外れており、今日の社会に溢れる知識を吸収した現代人にとって論理的に証明する事が難しい存在でしょう。
未だに理屈が解明されていない自然現象もあるにせよ、大多数の現象が論理的に解明されている(雨や昼夜、雷etc…)が故、突拍子もなく神の意志により引き起こされた現象だと言う考えには至らないでしょう。
だいぶ大雑把になってしまいましたが、それらが「普遍的な意味合いでの神」を否定する大きな理由に当たり、神が想像上での認識に過ぎないという理由に当たります。(想像上の認識はこの後の存在の説明でも活用します)

では一体なぜ神は存在すると考えるのか。それについてです。
上の考えに当てはめると科学的・論理的に説明できない神が存在するのはおかしい、神は居ない。とも思えそうですが、何も神は絶対的な力を持つ存在だけには絞られません。
スピノザの自然との同一視、カントの道徳的な者としての考えなど、一種の概念としても神は捉えられます。
例えば、何となく書店に足を運んだらずっと探してた本が偶然売っていた、席替えをしたら仲の良い人たちで偶然固まった等…それらはある種の神様の奇跡として考えることも出来ます。
勿論それらの事象は確率論的な説明ができ、神の存在を裏付ける証拠では無いでしょうが、奇跡の思い込みとして神様が為したこと、と概念として理解る事は出来るでしょう。
信仰することにより人を救済する神、それらの是非は分かりませんがそれにより心が救われる人が居るなら、それはその信仰における概念上の存在として説明が付くでしょう。
ウィトゲンシュタインの論理哲学論考には「語りえないことについては、沈黙せねばならない」という文があり、神は、沈黙せねばならない物=論理的な言語の限界で意味の無き命題として扱われています。
しかしそれは形而上学的・抽象的な神(上の文で否定した存在)であり、神頼みや神様が見ていてくれたんだ、など日常会話に登場する神とは違う物でしょう。
ですが私は言語・意識の合理化されていない物を説明するものとしての、言語で語れる概念として存在として神が居ると考えており、それが最初に書いた「神は存在する」に対する説明です。
言葉遊びですね。
実際は「神様は有る」の方が恐らく正しいですね。

最後に、初めに書いた誰でも論理的に紐解ける存在と言う物の説明ですが…論理的と言いながらもその抽象的な概念にあり、都合よく解釈できる存在として(こう書くのはあれですが)、誰の心にでもある物と言う意味で書きました。
10円ガムの当たりが出た→売り場にある総数、〇〇大学の当たりの割合の論文を踏まえた確率論では…とか考える変態はあんまり居ないと思うので
10円ガムの当たりが出た→ラッキー、神様感謝
みたいなごく一般的な事を、誰でも論理的に紐解ける存在
存在=抽象的、概念的
として書いています。

私自身無神論者(宗教的な意味合い含む)なのでその立場から神は何かについて考えた結果、こうなら神が居る(説明が付く?)と考えたものになります。
全部を書いた後、読み返して見ると内容の割に文章の書き方が随分変ですね。

後半の説明を奇跡に頼りすぎていたので、いつかもう少し納得できる内容で書きたいですね。

(カテゴリー哲学に分類しようかとも思いましたが、哲学が読書に含まれるぽかったので一応 なんでも に分類しました。間違っていたらすみません…)

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単純に神がいると証明出来ればいいんじゃないんですか?出来ないなら誰も分からない。

実在を明かすにはそれに尽きますね。
あくまで今世界に存在する神は言葉で書けるだけの物ですから…

空切り引いて降りてきて、「私が神だー」って言って欲しい物です。

意味わかんないこと言ってるのは承知の上ですが神は姿が見えないからこその存在なのでは?だから実際居るのを姿をとらえてしますとそれは神じゃなく善人なのでは、、!

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確かに、普遍的な認識での神=概念、と言う物を無理やり書き起こすと、人に道徳的規律や進む道を示すめっちゃ善人になりますね…
それか空飛んだり雷落とすスーパー人間とか…

姿を捉えられない神、森羅万象や自然その物などのアニミズム的な認識の神は実際にそれらが人間として実存しない事で成立している訳ですし。
薬物や精神疾患が絡まない限り、目で見て神を把握出来ない事は、今後の人類に残る一生の課題でしょうね(´・ω・`)

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水木しげるの言葉を借りると「神様はいる、と思った方が人生が楽しくなる」ですね。

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たしかに…神様は居る、その神を信じている…そっちの方が、絶対幸せですね。

既に哲学的思考が散々行われてきたであろう問いに、ゆるふわ思考を述べてみます。

今も昔も文化を問わず「こうなったのは、なぜなら」を考える生き物である人間は、必然的に神概念に行き着くというのが、わたしの考えです。

いつも雨が降るのは、なぜなら

ここにわたしがいるのは、なぜなら

あの人がこんなことを言ったのは、なぜなら

なぜなら、の言語的答えが無いと、不安が生じて落ち着かない生き物、それが人間です。

同じ事象を類型させて、言語化する営みです。

(科学も基本的には同じ動機と構造で行われてますね)

常に存在する事象の「なぜなら」の隙間を埋める、神、ゴッド、精霊を想定する。

まあ、もっとも、人間以外の生き物の精神性や知性や認知がどうなってるか、完全に確かめようが現段階では存在してない筈なので、各々の生き物の中に神的存在を認識してるかもしれませんね。

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「神様が(存在するかどうかはさておき)いると信じた方が期待値が無限大になるため、信じた方が幸福である」みたいな話があったなとふと思い出しました。

パスカルの賭け

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余談ですが、科学者のニュートンは晩年神学に没頭していました

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意外〜と思い調べてみたのですが、唯一神が正当だ(そうだとしても)とか、当時のイングランド国教会に結構強気で出ているのですね、、、