議論における感想の役割——「あなたの感想ですよね?」を超えて

「あなたの感想ですよね?」——この言葉は、今や議論の場で否定されたと捉える人もいる。だが、私はこう思う。「それがどうしたというのか?」と。

感想を述べることは、何か悪いことなのだろうか? 何かを見聞きし、考え、言葉にする。それは人間にとって自然な営みだ。それが間違いであれ正解であれ、一つの意見として価値がある。むしろ、「感想を述べてはいけない」という空気のほうが、不健全ではないだろうか。

感想を持つことは、思考の出発点

もちろん、議論においては客観性や論理的整合性が求められる場面がある。そのため、「あなたの感想ですよね?」という言葉は、「主観的すぎる」と指摘する意図で使われることもあるだろう。それ自体は悪いことではない。議論とは、互いの考えをすり合わせ、より深い理解を得る場だからだ。

しかし、そもそも人は感想を持たなければ議論すら始まらない。自分の主観的な考えを持ち、それを言葉にし、他者と交わすことで、初めて「より客観的な視点」に近づける。感想は、思考の出発点なのだ。

議論の目的は「勝ち負け」ではない

議論の場で「あなたの感想ですよね?」と言われると、自分の意見が否定されたように感じることがある。しかし、それはむしろチャンスだ。なぜなら、そこで立ち止まり、「では、どうすればこの意見をより説得力のあるものにできるか?」と考える機会が生まれるからだ。

議論は「勝ち負け」ではない。本来の目的は、理解を深め、互いに成長することにある。「あなたの感想ですよね?」と投げかけられたとき、それを煽りと受け取るのではなく、「なるほど、では客観的な視点からどう考えられるか?」と捉え直してみるといい。

煽りに動じず、冷静に考えることも成長の一環

とはいえ、人は感情の生き物だ。煽りにカッとなったり、ムキになったりするのも人情だろう。しかし、それもまた成長のプロセスの一部だ。「感情的になってしまったな」と気づけば、それだけでも一歩前進している。次はどう返せばよかったか、どのように落ち着いて対応すればよかったかを考えればいい。

むしろ、感想を述べること自体を恥ずかしがる必要はない。大事なのは、その感想をどう扱うか、どう深めるか、どう洗練させるかだ。

感想は恥ではない。思考の第一歩だ

「あなたの感想ですよね?」——この言葉を気にする必要はない。感想を持つこと、それを表現することは、人間の本質的な営みであり、思考の出発点だ。

大切なのは、そこからどう発展させるか。自分の意見を磨き、より多くの視点を取り入れながら、建設的な対話を目指していこう。感想を述べることに自信を持とう。それが、より健全なコミュニケーションを育む第一歩になるのだから。

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データや根拠を持っていれば、主観的意見は十分武器になると思う

「自分が嫌だから」を「みんな嫌がってるから」と主語の拡大をしたり、自分は誰かのために代弁をしてあげている、と語るから余計にややこしくなるのかもしれない

そもそも議論としての意見なのか、感想なのかを分けるのも必要なのかも…?難しいですね

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データ等の「客観的」な要素だけでは、議論になりませんからね。それぞれの主観を述べるのが議論の醍醐味だし、それを否定しちゃ元も子もないと思います。

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ひろゆき的論破芸は勝敗をジャッジするような視聴者を気持ちよくさせるための手法なので、相手との対話、議論、コミュニケーションじゃないんですよね。

だから、勝負の場ではなく、対話の場に降りてきて貰わなくてはならない。

対話やコミュニケーションというのはお互いに何かを受け取り合う、持ち寄り合うことなので「それってあなたの感想」は、なんの批判でも持ち寄りにもなってない。

であるならば、「感想ですよね」って言ってくる相手に話して貰わないとならない。

だから、あなたの感想ですよねマンを相手にせざるを得ない場合、わたしの感想は述べたのであなたの感想を下さい、などの対話が必要になる。
されども、対等な対話をお互いに行おうとする姿勢がそもそもない場合、どうしたら良いのやら。

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