1. はじめに
最近、「大学」とか「塾」とか「サロン」みたいな、昔は信頼できるイメージのあった言葉が、どこか胡散臭く感じることが増えた。ネット広告やSNSで、そういう名前を冠した謎のビジネスとかセミナーをよく見るようになったけど、「これ、本当に大丈夫?」と思うことが少なくない。
昔からこういう言葉には「権威」や「信頼」がくっついていたけど、今ではそのイメージが利用されて、逆に「うさんくさい」の代名詞みたいになっている。実際、言葉の本来の意味がどこか薄れて、「名前だけ借りて中身がない」ケースが増えているんじゃないかと思う。
今回は、「大学」「塾」「サロン」「コンサル」などを取り上げて、これらの言葉がどうして胡散臭いイメージになったのか、その背景を考察してみる。
2. 言葉の変遷と具体例
(1) 大学:信頼の象徴がビジネスの道具に
「大学」という言葉には、昔から「知の象徴」みたいな重みがあった。国公立や有名私立はもちろん、「大学」というだけで信頼される響きがあるし、「高等教育」っぽさが感じられる。だけど、最近はやたらと「〇〇大学」とか名乗る団体やプログラムを目にする。
特に目立つのが、ネット系の自己啓発ビジネスや高額セミナーで、信頼感を演出するために「大学」を使っているケースだ。例えば、「〇〇経営大学」や「△△マーケティング大学」なんて名前を付けて、学問っぽい雰囲気を出しているけど、実際はただのオンライン講座だったりする。「大学」という名前で「ここで学べば成功する」みたいな期待感を煽って、高額な料金を請求しているパターンが多い。
もちろん、きちんとした知識を教えてくれるところもあるかもしれないけど、こういう名前の使われ方が増えた結果、最近では「〇〇大学」と聞くだけでちょっと警戒してしまうようになった。なんでも名前を借りればいいわけじゃないと思うんだけど、実際はそれで集客できちゃうから困る。
(2) 塾:教育の場が自己啓発ビジネスに
「塾」という言葉も、かつては学校ではフォローしきれない部分を補ってくれる「教育の助け舟」みたいな存在だった。小中高生が通う進学塾や個別指導の場として、親たちにも安心感を与える言葉だったと思う。
でも最近は、「成功塾」「人生塾」みたいな名前の自己啓発系セミナーが増えている。これも大学と同じで、「塾」っていう言葉の信頼感を利用しているんだと思うけど、実態は結構微妙なことが多い。例えば、「〇〇式成功塾」みたいな名前で、「これを学べば稼げる」「人生が変わる」みたいな派手な宣伝文句を出して、期待させておいて、結局は高額な教材や追加の講座を買わせる仕組みだったりする。
教育というより、ただの「商売」になっているケースが多いのが残念だ。実際、「塾」という言葉を見るたびに、「本当に勉強する場なのかな?」って疑う癖がついてしまった。
(3) サロン:社交場から怪しい高額会費制へ
「サロン」も同じで、元々は趣味やコミュニティの場としてポジティブなイメージがあった言葉だ。美容室やカフェのような「落ち着いて話せる場所」みたいなイメージがあったと思う。でも最近は、やたらと「オンラインサロン」が増えて、「サロン」という言葉が少し胡散臭くなってきた。
例えば、インフルエンサーや有名人が「限定コミュニティ」としてサロンを開き、「ここでしか学べないことがある」と謳うことが多い。でも、中身を見てみると、月額1万円以上払っているのに、提供されるのはただの録画動画とか、雑談メインのチャットだったりする。結局、「サロン」という名前だけで人を惹きつけて、高額な会費を払わせているように見えるものも少なくない。
もちろん、素晴らしいサロンもあると思うけど、サロンという言葉が「特別感」や「信頼性」を失っているのは間違いない。
(4) コンサル:専門家のはずが「なんちゃって」が増える
「コンサル」という言葉も、かつては信頼感のある職業の一つだったと思う。企業の経営を支えるプロフェッショナルだったり、特定分野の専門知識を持ってアドバイスをしてくれる人、みたいなイメージがあった。だけど、最近はこの「コンサル」という肩書きが、ちょっと軽く使われすぎている気がする。
特に、副業や個人起業ブームの中で「未経験からでもコンサルになれる!」みたいな謳い文句が目立つようになった。具体的な例を挙げると、「SNSコンサル」「起業コンサル」「自己ブランディングコンサル」といった肩書きを名乗る人が増えたけど、その多くが「本当にこの人に相談して大丈夫なのかな?」と思わせるような内容だったりする。
一部では、実績が不明瞭だったり、根拠の薄いノウハウを売り物にしている場合も多い。たとえば、「この方法で年収1,000万円になった!」と煽るけれど、実際に提供されるアドバイスはネットで無料で読めるような基礎知識だけだったり。これが積み重なって、「コンサル」という肩書きそのものが信頼を失いつつある気がする。
3. 共通する問題点
これまで見てきたように、「大学」「塾」「サロン」「コンサル」といった言葉が持っていたポジティブなイメージは、ある種の「権威」や「信頼感」を与えるものだった。しかし、こうした言葉が商業的に乱用されることで、共通していくつかの問題が生じている。
(1) 名前だけで信頼を得ようとするマーケティング
一番の問題は、名前に頼りすぎて中身が伴っていないケースが増えていることだと思う。「大学」「塾」などの言葉には長い歴史があり、それ自体が持つ「信頼」がある。それを利用して、実際の内容や運営が信頼に値しない場合でも、名前だけで人を集めようとする動きが目立つ。
特にネット上では「〇〇大学」「〇〇塾」といった名前を付けることで、「ここで学べば成功できる」という幻想を与える広告が多い。多くの人が名前のイメージだけで飛びついてしまうが、参加後に「期待外れだった」と気づくことも少なくない。
(2) 内容よりも利益優先の構造
もう一つの問題は、こうした団体やサービスが、教育や知識の提供よりも利益を優先しているケースが多いことだ。名前の信頼感に頼って料金を高く設定するが、実際の提供内容が薄い場合、利用者は「騙された」と感じることになる。これが繰り返されることで、言葉そのものの信頼が損なわれる。
特に、個人の利益を最優先にする自己啓発系ビジネスでは、「塾」や「サロン」という言葉が中身のない高額商材の販売の場と化していることも多い。この結果、実際に価値のあるサービスを提供している「本物の塾」や「本物のサロン」までが疑われてしまう状況を作り出している。
(3) 消費者の「信頼疲れ」
こうした問題が積み重なることで、消費者側に「信頼疲れ」が起きているように感じる。本来はポジティブなイメージを持つ言葉が、「何か怪しい」「また高額な商売かも」と疑われるようになっている。特にネットで頻繁に目にするような広告やサービスでは、言葉のイメージだけで判断するのが難しくなっている。
結果として、「名前だけ立派なものを信用しない」という慎重さが生まれた一方で、価値のあるものまで疑われるようになり、本当に学びたい人や参加したい人が二の足を踏むことも増えている。