何食べたいか聞かれたら「答えられる人間でいて欲しい」という想い🥹

:bowing_man:食を提供する側の視点です。

:thinking:「自分は食に関心がないから答えない」あるいは「答えなくてもいい」という人を知っているので、密かに反論したいと思ったことが動機。

食とは生活の一部であり、趣味と違って関心の有無で語るべきではないと考えています。

私の場合は、一種のバロメーターとして機能していて、「何を食べたいか」質問して、答えられない場合「不調」という疑いをかけやすいのです。同時に変化も感じ取りやすい。

:rage:何が言いたいか。

「健康管理の一種なので協力してほしい」と思っています。

なんでもそうですが、初期症状、初期段階で対策すれば、短期間ローコストで解決可能なことが多いですから。

:+1:それはとてもお得だとは思いませんか。

私が知る限り、好調不調を正確に表現できる人は、稀です。
「何食べたいか」の気軽な点は、感情的、身体的な好調・不調をうまく言語化しなくていい点にあります。

一見取り止めのない内容でしょう。しかし、日々の変化を常に観測していくのは、難しい。その指標として「何食べたいか」が非常に有効だと感じています。

これをうまく伝える術を持たないので、「食べたい健康法」を理論・哲学的に強化したく存じます。どうぞ、ご意見ください:bowing_man:

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食べたいことがはっきりわかるのは健康の一種の表しですか、なるほど、確かにそれはあるかもしれません。面白いですね、ちょっと実体験について書いてみたいと思います

私は元々、食べることに興味ない人間だったんです。どう興味ないかっていうと、食すことはエネルギーを取る行為であり、手短く済ませられるなら越したことないと考えていました。そもそもご飯を食べるのに、店を並ぶとか、30分も出かけるとか理解できないぐらいでした、なんならカロリーメイトで生活できるぐらい

でも社会人になって可処分所得が増えてきたタイミングで、学生が気軽にいけないようなお店に行くのもいけるようになった。そこで初めて「美味しいものは美味しい」と認識できたかもしれません。

要は私が食事に興味がなかったのは、口に合うものをちゃんと食べてなかったからでした。なので、相手に食事の旨味を認識できるようにするのは大事な一手なんじゃないかなと思います

実際健康的な面はどうでしょう、確かに赤身の多い食事を取るようにしてから、全然風邪を引かなくなった気がします。

ここまで書くと、千葉で食べた車海老ユッケ丼のことを思い出しました。今日は車海老を食べたいです。

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無性に食べたいと思うのはある栄養素が不足してるサインみたいな話ではないのですか

  • 甘いものが欲しくなるのはタンパク質・マグネシウム・鉄分不足
  • しょっぱいものが欲しくなるのはミネラル不足
  • 脂っこいものが欲しくなるのはカリウム不足

ナッツ類、 鶏肉・豚肉, ・魚介類・海藻, 大豆, 卵, 緑黄色野菜

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肥満の方もそういう時があるのでどうなんでしょうね

あと無性にカロリーの高いものを取りたいとか

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「食べたい健康法哲学」への言及、面白いですね。まず思うのは、食事が身体と心の調和を保つための重要な役割を果たしているということです。単に「何を食べるか」だけでなく、「どう食べるか」「なぜ食べるか」という視点が加わると、食事そのものが自分の身体に対する愛情やケアに変わっていきます。

私が思うに、この哲学は自分の身体の声に耳を傾け、体調や感情に合わせて食べたいものを選ぶという形で表現されるべきです。例えば、風邪をひきやすくなったと感じたときには、体が求める栄養素を補うために、必要な食材を選び、しっかりと食べることで免疫力を高めることができます。反対に、ストレスや疲れが溜まっているときには、食事が心を癒す手段にもなるわけです。

「食べたい」という欲求が、実は心身が求める栄養やエネルギーのサインだとしたら、その欲求に従うことは、健康管理の一環として非常に有益です。この「食べたい健康法哲学」の根底には、自己理解と身体的な感覚を大切にし、過剰でも不足でもない、バランスの取れた食生活を意識することが含まれていると思います。

麻婆豆腐と納豆さんとお魚さんはいつも食べたいです。

食べたいものが明確であることは、まさに体調のバロメーターであり、それに従うことで身体をケアする「健康法」として、理論や哲学が具現化されていると感じます。食べることが身体の反応を理解し、より良い状態を維持するための経路であるという視点こそが、まさに「食べたい健康法哲学」の核心なのだと思います。

食事を単なるエネルギー補給ではなく、体と心の調和を保つための大切なプロセスとして捉え、食べたいものを(時には主体的・能動的に、時には何となく・感覚的に・直観的に)選ぶことで、健康管理や心身のケアが行えることを意味していると感じました。

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これ聞いたことあります!
無性に食べたくなるのはタンパク質が足りないからだとか。、

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まずはお礼の言葉を。ありがとうございます:bowing_man:

リアン様は興味のない側の人だったのですね。最近は「食育」という言葉を聞くようになりましたが、色々なものを他者へ取らせることは、結構大変ですからね。

手軽さに重きを置くことは想像できます。

そして、選択肢が増えて、実践してみたところ、想像以上に関心の持てる要素があった。関心が持てることに気づけたということでしょうか。

口の合うもの合わないもの、端的に「なんでもいい」って言葉はよく聞きますから、こちらから色々誘ったり提案していくことも大事なのかもしれませんね。

ご紹介いただきました。とても美味しそうですね。

:+1:何食べたいか教えてもらえて、嬉しく思いました。本日、私は天ぷら蕎麦を所望します:bowing_man:

理論強化になりそうですね。ありがとうございます:bowing_man:

占有しそうなので閉じ機能使います

長期的に甘いものを好むようだと…

長期的に甘いものを好むようだと「血糖値」に関わっている。ということを耳にしたことはありますね。それは一時的に欲しているからではなく、慢性的に不安定な可能性があるそうです。
傾向と食べたいものとは少々違う視点の話なので、どうでしょうね。

「健康管理の一種なので協力してほしい」と思っています。

これが一番の肝なんですよね?
であれば問いかけ方を変えて、
「あなたの体調を整える為に適切な食事を提供したいので心身で不調を感じている事はありませんか?」
と質問するのが良いのではないでしょうか?
しかしこのように尋ねてしまうと趣旨が食を提供するから健康を整える食事を提供するに変わってしまうし、
立場も料理人から栄養士になってしまうので主の思いからは外れてしまうかもと考えます
中華の薬膳みたいなものだと思えば両立できるかもしれませんが、あれ健康な時に食べるとあんまり美味しくないんだよなー

ご支持、ご鞭撻いただき、ありがとうございます:bowing_man:

「食べたい健康法哲学」への言及のお礼と悩み…

確かに「何食べたいか」を

「どう食べるか」「なぜ食べるか」二次的三次的なものへ繋げていきたいとも思っています。

いわゆる、導線でしょう。ただ、そこまで表現することにコストがかかるとは感じる。ハードルを低く見積もる意図もまた存在します。
明確な、意味がないことも事を含むので「答える必要がない」と言われてしまえば、なかなか弱いものがあります。

それに案外問いかけても「なんでもいい」という人は多いように感じている。それがタイトルの「答えられる人間でいて欲しい」という想いにつながっていますね。

これは、自説程度に「子供のうちから多少方向性を示せる程度」の主体性が持てないか?と思うわけですが・・・。

冷蔵庫の状況から近いものを作るしかない場合もしかり、様々な理由から、その『食べたい健康法』の効果を感じ取れるかと言ったら毎回はないとは思います。将来困るであろうことに備えるだけの「予防」に関心を持つことは難しいのかもしれません。

それと食の傾向を教えていただきありがとうございます:bowing_man:

魚に含まれるビタミンDは不足しがちだと言われていますよね。リアン様の体験談のように食に関心がない方(なかった方)は「魚が食べたい」とあまり言わない気もするので、そこは「気をつけなければならない」と反省しています。

ありがとうございます:bowing_man:
悩ませてしまいましたね。申し訳なく思いもしますが、嬉しくも思います。

手っ取り早く、解決するならズバリ聞いてしまえばいい。というのは確かにその通りです…

手っ取り早く、解決するならズバリ聞いてしまえばいい。というのは確かにその通りなんです。

:thinking:それを毎日繰り返すと想像すると・・・という含みもあります。

「適当でいい」っていう気持ちを踏まえて、「何食べたいか」くらいが折り合いがつけやすいかなという目論見ですね。同じように別の視点で気の利いた問いかけがあれば、知りたいとも思っております:bowing_man:

食事によってメンタルケアも人によってはあり得るので、ご所望のものを・・・とも思うわけです。

さて、『健康食』や『薬膳』という解決方法を示されたものの、じょんどぅ様のいう通りジレンマを抱えることになります。本人の食を楽しむという視点の抜けたエゴになってしまいかねないと。

有無を言わさず、薬膳を出すとする。「出されたものは食べるべき」という指導法があるのを知っていまして、なんでも食べることは良いと思っています。と同時にいささか懐疑的にも思っていました。

そして、『本人が不満を口にした時』往々にして我慢を強いた後であることも知っている。限界を超えてからの噴出。

関係の修復って、時間かかりますよね。

個人的には、そういう事態も避けられたらいいな・・・という願望が、多少込められています。

:sob:十分に説明して、同意を得ていくことは理想ではあるのですが、実践が難しい。